以前から、御夫婦で定期的に歯のメインテナンス(お掃除)に通院していらっしゃるMさん。Mさんは昨年11月、急に具合が悪くなり、救急車で病院へ緊急搬送された。この時は、もうすでに意識はなく、担当医から脳梗塞と診断され、「この2~3日が峠で、最悪の場合があることは覚悟しておいてほしい」と告げられた。「主人の意識がまだ戻らないのです」奥様は泣きながら私に話をしてくださった。
Mさんは、音楽が好きで仲間とバンドを結成して、ボランティアで老人福祉施設や介護施設に出向き演奏しては、入所されている方々を励まし続けてきたことは、Mさんからお話しを聞いて私も知っていたので、とてもこの時ショックを受けました。「なんとかもう一度再起して欲しい」祈るような気持ちになりました。
それから月日は流れ、いくつもの季節が過ぎ、1年が経過した今年の10月のことです。Mさんは後遺症は残るものの、手押し車で来院されました。私は待合室にいらっしやるその姿を見たときに一瞬自分の目を疑いました。でも、間違いなくMさんです。この時、「人間の持つ生命力は凄い」と胸がとても熱くなりました。入院期間中は、バンド仲間が度々訪れては「皆でもう一度演奏しようよ!」と励まし続けてくれた事が生きる力になったと話してくださった。そんなMさんの回復ぶりを見て仲間は「奇跡が起きた」と喜んでくれているということも・・・。
お口の中はどうなっているのだろうか?。診察してすぐに不安は安心へと変わった。以前と同じきれいな状態が保たれていたのである。とてもきれいですねと問いかけると、「内の家内が欠かさず仕上げ磨きをしてくれていたから」と笑顔のMさん。
付き添われてきたMさんの奥様は、「主人がもう一度復活してくれると、ずっと信じていたから・・・」。私はこの時、御夫婦が「強い絆」で結ばれていることに感動しました。
殺伐とした世の中ではあるが、悪い話ばかりではない。Mさん御夫婦と出会えて、私はとても幸せだ。
高齢者の所在不明問題が、全国各地で相次いでいます。
山口県防府市では、26日、文政7年(1824)年生まれで、
存命していれば186歳になる男性の戸籍が残っていたことが
明らかになりました。
1824年は、徳川幕府第11代将軍、徳川家斉の時代。
防府市の男性は、勝海舟の1歳年下で、西郷隆盛より3歳
年上に当たることになるようだ。
日本人の平均寿命は、医療の発展・進歩により確実に延びて
います。今後もさらに記録を更新していくものと考えられます。
これからは、超高齢社会を迎え、2025年には、3人に1人が
65歳以上になると推計されています。
いつの日か、本当の意味で186歳、今でもちゃんと元気です。
こういう時代が来ればいいのにな、と思うのは私だけでしょうか?
今年の夏は、かなり暑いですが、皆さん体調はいかがでしょうか?
全国各地で、熱中症で救急搬送される方や死亡される方が多く、心配です。
小さいお子様や65歳以上の高齢の方は、特に気をつけてください。
今回、皆様方のご参考になればと考え、熱中症の予防法とかかった場合の応急処置について書きます。
<予防法>
・発汗によって失った水分と塩分の補給をこまめに行う。
スポーツドリンク(ポカリスエット、アクエリアス)が良い。
・塩分の補給には、味噌汁やスープなど塩気のある食品をとる。
・睡眠を十分にとる
・十分に休憩をとりながら作業する(休憩により体温を下げる)
昼の暑い時間帯の農作業は、やめたほうがよい。
・体感温度を下げる方法として、日射を防ぎ、通風を確保する。
<かかった場合の応急処置>
・経口捕水塩(塩を入れた水)またはスポーツドリンクを飲ませる。
・涼しい場所で休ませる。木陰やクーラーの効いたところで衣服を緩 める。
・口に水を含んで吹きかけて、気化熱によって冷やす。
上記を試みて回復しないようなら、躊躇せず、すぐ救急車を呼ぶ。
国内初の旅客機の女性機長になった、藤 明里さん。
小さいときから飛行機が好きで、大学時代にパイロットを目指そうと決めたそうだ。ところが、155センチの身長は航空大学校の受験資格を満たさなかったため、受験できなかった。
しかし、夢をあきらめきれず、渡米し米国の訓練学校に通い操縦免許を取得した。
1999年、訓練生としてJALエクスプレスに入社し、国土交通省の機長審査に合格するために、厳しい訓練を重ねた。途中何回か挫折し、落ち込むこともあったが、努力で乗り越え、42歳で初の女性機長になった。その藤さんのだしたコメントを紹介します。
「信念を持ってあきらめない精神力があれば、誰でもやれる」
決してあきらめることなく、自分の夢を追い続けることの大切さ、
改めて勉強になりました。
7月19日(日)、20日(海の日)の両日は、私の所属するインプラント研究会の勉強会が合宿形式で行われるため、しっかり勉強してきます。この様子は、ブログで報告します。
7月4日掲載の長野日報、日曜小論の記事に目が留りました。
「団塊の世代の方は、今、幸わせに暮らしているだろうか」という内容のものでした。その記事を読んだとき、私は父親のことが思い浮かびました。
無口でまじめでこれといった趣味はなく、仕事一筋な人です。
私も子供の頃は、よく怒られました。
歳をとった今でもその性格は、全く変わっていません。団塊の世代の方々の性格はどうやら共通するものがあるようです。
その性格ゆえ、今の現代社会でも幸せに暮らしているだろうか、幸せに暮らしていて欲しいという記者の願いが記事に書かれていました。
昭和30年代後半から40年代にかけて、日本の高度成長期を支えた方々には頭が下がります。一重に言葉で言い尽くせない大変なご苦労をされたと思います。
私も、父の背中を見て育った者の一人として、団塊の世代の方々が幸せに暮らしていて欲しいと強く思いました。